教育・自己啓発

『江戸の妖怪革命』香川雅信 前半

2021年共通テスト国語
第1問の題材となった本を紹介します。

妖怪の歴史

本書で使われている「妖怪」の定義についての
通釈は以下の通りです。

「妖怪」は、現在では「神仏・祖先の
霊とは異なる超自然的存在で、
不可思議な現象をひき起こしたり、
人間に恐怖を与えたりするもの」
を指す言葉として一般に
受け入れられている。

妖怪は「古事記(712年)」や
日本書紀(720)」の中で登場したのが、
日本で最初だと言われています。
古事記、日本書紀が題材になったと
言われている『桃太郎』の中には
鬼が登場しています。
この頃は妖怪の姿は書かれていませんでした。

妖怪の姿が描かれるようになったのは、
室町時代になってからです。

御伽草紙の「百鬼夜行絵巻」を
見ると主に道具の妖怪が、
行列を作り行進している様子が見られます。
道具の妖怪は喪神つくもがみと呼ばれます。
喪神は長い間使われた道具に
神や精霊が宿り、妖怪化したものです。

出典:Hyakki-Yagyo-Emaki Tsukumogami 1 – 百鬼夜行 – Wikipedia

江戸時代になると
人々の間で妖怪が娯楽として

大流行しました。
100話語り終えると本物の妖怪が
出て来るという百物語
庶民の遊びでした。

妖怪の浮世絵は葛飾北斎、月岡芳年よしとしといった
人気の浮世絵師によって次々に
描かれました。

妖怪の姿が描かれた水墨画、浮世絵は人気で、
多くの人が購入しました。

葛飾北斎『百物語 お岩さん』 中判錦絵 天保(1830~1844)年間初期 中外産業株式会社(原安三郎コレクション)蔵 

現代では妖怪は『ゲゲゲの鬼太郎』や
妖怪ウォッチ』などファンタジー作品
として浸透しています。
妖怪は畏怖の対象ではなく、
娯楽として人々の生活の中に
現れるようになりました。

民間伝承としての妖怪

皆さんは自分が想像の出来ない
出来事に遭遇した時にどうしますか?

私だったらスマホで調べます。
調べても現象が理解できないと
怖いですよね。
それは昔の人も同じでした。

今のように科学技術が
進歩していない時代の人々は
雷、洪水、火などの
自然災害に見舞われたとき、
妖怪の仕業だと思うことで
自分を安心させたのです。


皆さんはジェットコースターや
お化け屋敷は好きですか?

私は好きです。
身の安全が保障されている恐怖は
娯楽の対象になりますが、
そうでなければただ怖いだけです。

100回に1人が死ぬジェットコースターや
時々人が中で失踪するお化け屋敷に行き、
楽しい人はいませんよね。
楽しい人は病気です。

妖怪が意味論的な危機から
生み出されるものであるかぎり、
そしてそれゆえにリアリティを
帯びた存在であるかぎり、
それをフィクションとして
楽しもうという感性は生まれえない。

共通テスト国語第1問、4段落目

フーコの考えるアルケオロジー

ミシェル・フーコーは、
20世紀後半を代表するフランスの哲学者です。
彼が考える「アルケオロジー(考古学)」は、
歴史の資料を読み、
社会の文化の動向の中にある
無意識領域に注目し、
その中にある構造を
見出せるようにすることです。


歴史の資料を読み、
発生した出来事の起源や
因果関係を知ることは
真のアルケオロジーではないと言っています。

本書では、このアルケオロジー
という方法を踏まえて、
日本の妖怪観の変容について
記述することにしたい。
それは妖怪観の変容を「物」「言葉」
「人間」の布置の再編成として
記述する試みである。

共通テスト国語第1問、9段落目

日本の妖怪観の変容

〈中世(平安時代末から)の妖怪観〉
室町時代には、付喪神つくもがみや動物が
変化した妖怪、鬼が登場します。

中世にものを大切にしない
子供がいたとします。
自分が捨てた物が付喪神になり、
自分の目の前に現れると
親から聞かされたら
どう思うでしょうか?

僕が付喪神だったら、
乱暴に扱われて捨てられたら
「良くも乱暴に使ってくれたな。
仕返ししてやる」と思います。
丁寧に使ってもらったなら
「こんなになるまで使ってくれて
ありがとうと感謝を言いにいくはずです」

こんな感じて親から話を聞かされたら、
子供はもっと物を大切に使おうと思いますよね。

皆さんは日本神話に出てくる
魔物「ヤマタノオロチ」を知っていますか?

ヤマタノオロチの起源は、
八つに分岐した川の氾濫
という説があります。

川の氾濫を「凶兆」であると考え、
神が私たちに何か伝えようと
しているとのだと考えました。

村の人はヤマタノオロチという妖怪の仕業で
あると考え人間を生贄としました。
高貴な者の犠牲ほど尊いとされ、
巫女や処女が生贄となりました。
いわゆる人身御供ひとみごくうです。

『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年・画)

付喪神もヤマタノオロチも
記号として存在していました。

すなわち、妖怪は神霊からの「言葉」を
伝えるという意味で、
一種の「記号」だったのである。
これは妖怪にかぎったことではなく、
あらゆる自然物がなんらかの意味を帯びた
「記号」として存在していた。

共通テスト国語第1問、11段落目

〈近世(安土桃山,江戸時代)の妖怪観〉
江戸時代では、妖怪の絵巻物、版画本、
妖怪画集が大衆にヒットしました。
妖怪を娯楽として楽しむ
文化が誕生したのです。

妖怪を娯楽として楽しむためには、
身の安全が保障されている必要があります。

本草学ほんぞうがくの典型的なエピソードを紹介します。
植村政勝うえむらまさかつという本草学者は
「物は物であり、観察できる要素の
集合体でしかない」と見なしました。

九尾の狐が化身したとされる殺生石せっしょうせきは、
近づく者を皆死に至らしめるという
伝説で恐れられていたのですが、
政勝はその殺生石を躊躇なくかち割り、
自ら舐めて味をみて「普通の石だ」と
結論づけたのです。

こうしたエピソードからわかるように、
近世では、自然が人々にとっての
恐れの対象ではなくなりました。

ここに近世の自然認識や、
西洋の博物学に相当する
本草学という学問が成立する。

共通テスト国語第1問、12段落目
殺生石せっしょうせきの画像(とちぎ旅ネットから抜粋)

それから、妖怪がいないことは
証明されたけれども、
いることにして皆で
楽しもうということになり、
妖怪が「表象ひょうしょう」となっていきました。
表象は現代でいうところの
「キャラクター」です。

〈近代(明治維新から太平洋戦争の
終結まで)の妖怪観〉
妖怪が見えて当たり前
だった時代とは違い、
妖怪が見える人が
珍しい時代へと変わりました。
見えないものが見えると言う意味で、
この時代から霊感という言葉が使われ出しました。

夏になると見えないモノが
見えた人の体験談を集めた
ほんとにあった怖い話』が
テレビで放送されてますよね。
死んだはずの人が甦る話や、
死者の霊が生霊として現れる
話しが放送され、
それらは私たちに
不気味な怖さを与えます。

人間は「神経」の作用、「催眠術」の効果、
「心霊」の感応によって
容易に妖怪を「見てしまう」
不安定な存在、
「内面」というコントロール不可能な
部分を抱えた存在として
認識されるようになったのだ。

共通テスト国語第1問、16段落目

まとめ

前半は『江戸の妖怪革命』の
文章を解説をしました。
後半では、実際に共通テストの
問題を解いてみて、
何点取れたのかを
発表したいと思います!

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ありがとうございました。